風景を絵描く

          山 根 節 雄
 
旅と、風景とは切り離せない。
 私は旅に出ると、その開放感と同時に緊張感
から、私の感覚は突如として、日頃の数倍も敏
感になる。見るもの、聞くもの、食べるものなど、
すべてに好奇の目を見張り、身の回りのものが
みなフレッシュに見え、多少のスリルをもって
身が引きしまるのである。
 私は自然の前で、はやる心を押さえて、じっ
と観察する。自然から受けたこの感動を、もっ
とも卆直に表現するのには、どんな構図にまと
めるかどこを強調し、どこを弱めるか。その為
にはどう形を変え、画面に動きを与えるか、色
彩は何色を基調にするべきか、その色を引きた
たせるために、反対色はどの位の分量にしたら
よいかと考える。自然の感動がかなり具体的な
形を取ってくると、一層、私の情熱は燃えあがる。
一旦、筆を取ったら迷わずに、一気に感動を逃
さないように描きこんでゆくのである。
 長崎の大浦天主堂にむかって右側に、教師館
がある。赤レンガの、白いバンガローをもつ左
の建物である。この天主堂の入口の左側は、坂
道になっていて、その道を登っていくと裏手に
墓地。その墓地のとっぱなにカンパスをたてた。
早春を思わせるように山椿が咲いており、二本
のヒョロ長い棕櫚が赤茶色のレンガに映えて、
効果的である。中景は海で、その向こうは山。
条件は整いすぎている。「椿咲く天主堂」と題し
た8号の油絵は忽ちにして出来上り近くまで、
こぎつけられる。完成は、アトリエに持ち帰り、
私の個性をしっかり盛り込んだ絵に描き上げる
だけである。
 フランス・印象派の画家ゴーガンは、「絵画と
は、鏡にうつるような自然とは違う。また、自
然の模倣でもない。神の創作し給うたものを、
再創作することである」と言っている。
 自然は、ゴーガンが言う通り、神の作ったも
のである。その前にカンパスを立てて写生して
いると、いつのまにか自然と一体になり、無我
の境地に入り、パレットの色をどう混ぜたか、
自分でも知らないうちに描き続けられる。神が
助けてくれているのだと思う。
 こんな境地に入れるところに、風景を描く喜
びと祈りがある。