昔の話  近藤宏一

 1957年は防府RCが創立された昭和32年である。
田布施出身の岸信介氏が総理大臣に就任された
のもこの年である。そして3年後の昭和35年には
防府JCが設立されたが、岸総理は日米安保改定
という大仕事を終えて引退、後任は広島県の池
田勇人首相が就任、いわゆる所得倍増計画なる
ものを打出し日本経済は高度成長期に突入した
のである。(宮澤喜一経済企画庁長官.当時42歳)
 防府RCも当時は創立後の成長期で、あすなろ
の原点もこの頃に始っているし昭和37年には防
府商業高校にインターアクトが結成されている。
 その後、昭和38年は山口県で国体が行われ、
翌39年には東京オリンピックへと続くが、この年、
池田首相の喉が前ガン症状とかでおかしくなり
引退、佐藤栄作総理大臣が就任し、長期政権の
事始めに「韓国が朝鮮半島を代表する唯一の合
法的政府である」との認識のもとに日韓条約
締結し国交が回復した。
 昭和39年には防府JCは創立5周年を迎え記念式
典を公会堂で行ったが、記念講演の講師は毎週
日曜日にNHKで現在も放映されている政治討論会
の当時の司会者唐島基智三氏であった。
 その式典前日、中共が原爆実験を行ったので
ある。記念講演でもその重大性に触れられたが、
最近のイランや北朝鮮の核開発問題を巡る六カ
国協議などを見ていると、40年前の中共の核実
験の際は中共が国連の常任理事国だったせいか
別に国際問題にもならず、ただ驚くばかりだっ
ただけに、この間の時代変遷を感じるとともに、
共産主義は、最終的には結局武力・軍事力に頼
る一面を垣間見るのである。
 国家態勢(共産主義)など考えると現在の平和
な日本人の常識(民主主義)では考えられない危
うさを持っているように思えてならない。
   
 戦後10年経って、もはや戦後ではないと言われ、
いわゆる55年体制というものが出来、20年経っ
て国際化という言葉がやっと世に出た頃の昔話
である。
 その後さらに40年経ち、最近は歴史がスピー
ドアップしているように感じる今日この頃であ
るが、10年後、20年後の日本を取りまく状況は
一体どうなるのであろうか。