高校野球と私

           西 本 真 一
 
私は高校野球の熱烈なファンである。高校野
球は毎年感動を与えてくれる。
 高校野球に魅せられたきっかけは、忘れもし
ない昭和44年第51回全国高校野球選手権大会
勝戦 松山商・三沢の試合である。
 愛媛県出身の私は当時松山商業を応援してい
たのだが、決勝戦当日は家族で海水浴に出かけて、
浜辺でラジオを聴きながら手に汗握ったものだ。
 0−0のまま延長15回三沢高校1死満塁カウン
ト0−3、続いて2死満塁カウント1−3、押出しサ
ヨナラのピンチを脱したかと思えば続く延長16
回裏も1死満塁。カウント2−2からサヨナラスク
イズをはずしてピンチを逃れ、延長18回引き分
け再試合に。
 正に心臓に悪いとはこのこと。そして翌日の
再試合を4−2で勝って優勝。
 以来松山商ファンであり、愛媛県代表高校の
ファンで、毎年春・夏の大会を楽しみにしている。
 今年もハンカチ王子が話題になったが、元祖
甲子園のアイドルは、この年、決勝戦2試合27イ
ニングを投げ抜いた青森県代表三沢高校のエー
太田幸司であった。
 H8年の夏の決勝戦 松山商−熊本工も印象に
残っている。
 9回裏熊本工攻撃で3−2と松山商リード、2ア
ウトランナーなし、あと1アウトで優勝!からホ
ームランを打たれ同点。続く10回裏1死でランナ
ーが3塁にいて、大きなライトフライを打たれた。
犠牲フライ間違いなし、サヨナラ負けかと思わ
れたが、奇蹟のバックホームで間一髪アウト。
次の11回表に3点取って6−3で優勝したのも感動
した。
 故郷の自慢で申し訳けないが、夏の大会の勝
率1位は0.667で愛媛県、2位は0.642で大阪府
ある。(ちなみに山口は0.551で14位)
 選抜の愛媛代表ではS63年宇和島東、H16年済
美が共に初出場・初優勝をしたのは記憶に新しい。
 私の母校松山東もS25年全国優勝しているが、
野球部はほとんど商業科の生徒だったらしく松
山商業の優勝回数に数えられている。もし母校
がいつか“21世紀枠"でもいいから甲子園に出た
ら、何としても応援に行ってみたい。生きてい
るうちに一度でいいから母校の校歌を甲子園で
聴いてみたい。
 しかし、私は中高大と野球部に在籍したこと
はない。子供の頃は遊びと言えば原っぱで野球
するしかなかったので、小5の時、クラスでチー
ムを作りピッチャー。中1の時もクラスのチーム
ではピッチャーをした。当時は肩が強く、コン
トロールも良かった。しかし体格がないので、
野球部に入ったことがなく、高校からは卓球部、
大学はテニス部だった。
 防府に転勤してきて、素人ながら名門防府
ータリーの野球部に入れてもらい、広島市民球
場やきららドーム、岩国市民球場でプレーする
機会があったが、本物の野球場でプレーするの
はドキドキするが気持ちがいい。来年はロータ
リー記念大会とのことで、山口県予選なしで、
甲子園に出場できるとのこと。楽しみである。
それまで転勤がないように祈っている。