君はエリカより素敵かも

            東   佳 範 
 
 才色兼備と言う言葉がある。簡単に言えば頭
がよく美しい人のことだ。世の中にはそんな人
が結構いるものだ。例えば東大卒の女優の菊川玲、
男にはこの言葉は使わないが、男性だと嵐の櫻
井翔などが代表的な例だ。おっと皆さんから、
あの人もそうだという異論が出そうな雰囲気で
あるが、皆さんの周りにもここまで行かないに
しても天から二物を与えてもらった人がいらっ
しゃるに違いない。
 その方のことが羨ましいだろうか?私はけっ
してそう思わない。なぜでしょうか。私はある
真理を知っているからである。それは個人の持
っている「もの」の合計量は他の人と比べて一
緒と言うことである。「もの」とはなんであろ
うか、私はひらかなで「もの」と記した。これ
は物という物質だけでなく、頭のよさ、器量、
才能、やさしさ、たくましさ、幸せ、さらには
運までを含むものである。「もの」と表現する
より「宝」のほうが分かり易いかもしれない。
だからテレビタレントと自分を比べ、どんなに
相手が美しく魅力的であっても「もの」の量は
一緒。自分のほうが幸せかもしれない、健康か
もしれない。優るところはいっぱいあると思う。
 私には二人の娘がいる(他に男の子もいる)。
次女が長女のことをよく羨ましいと言う。長女
は大学生で目的を持って励んでおり、生きてい
ることが面白く、輝いているのは私が見ても良
く分かる。次女は自分と姉を比べてしまうので
ある。しかしそんな次女も素晴らしいものを持
っていると思う。すらりと伸びた肢体、子ども
やお年よりから好かれるところ。これは長女が
逆立ちしても真似の出来ないところである。つ
まり二人が持っている「もの」は違えどその量
は一緒と言うことである。この「もの」は残念
ながら量れないので証明できないが一緒と思え
ば良いのである。
 私の例を書こう。私はひ弱で運動神経が無い
と思っていた。事実小学校の時は悲惨であった。
しかし中学生の頃から体力がつき3年間は無欠席
(遅刻が1回)高校では皆勤であった。スポーツ
もそれなりにやり、この年(50代半ばです)に
なっても年数回の野球や運動会の徒競走に参加
している。また3年前より先生につき声楽を習っ
ている。今年の発表会ではアスピラートでオペ
ラのアリアを歌う予定である。これは難曲でハ
イC(高いド)まで出すことになる。数年前には
こんなことをやるとは思ってもみなかった。こ
れが私の持っている「もの」、そして3人の子ど
もを含む家族も私の大切な「もの」である。
 高校生の時では自分のことはまだ分からない。
ひょっとしたら60歳になって初めて出会う「もの」
があるかもしれない。皆さん自身が想像した数
倍の「もの」が自分の中に眠っているのだと思う。
 じつはこの話は私の母校で高校生相手に話し
一番受けた話である。よく若い人がすでに自分
の人生に限界を感じているようなことを聞くが
それは大間違いである。