復活!Sのマーク

              原 晴一郎
 
 昨秋、選抜予選の中国大会は、4試合中3試合
でサヨナラ勝ち、驚異的な粘りで29年ぶりに復
活を果たした我が母校下関商業は、投手 中心の
守りのチーム、ともに130キロ台後半の速球を持
つ島田と浜崎の2人の右腕を擁し、継投で失点を
最小限に食い止め、打線は打率2割9分3厘とやや
非力であるが、竹野内、西村、新田の勝負強い
打者が並び、バンドを重視して少ない好機を生
かすチームです。久々の甲子園出場、後輩達に
よくやったと誉めてやりたい。
 下商グランドから目と鼻の先に野球部寮「十
畳原寮」がある。元西鉄ライオンズ池永正明
輩を擁しし昭和63年の春優勝を皮切りに甲子
園に3度連続出場した時集まった寄付金を使い、
昭和64年に完成した。私も3年間ここでお世話に
なりました。下商寮では食事の前に「人一度こ
れを成せば、我十度これを成さん。人十度これ
を成さば、我百度これを成さん。人百度これを
成さば、我千度これをこれを成さん。 千日の行
を鍛と言い万日の行を練という、合掌」この言
葉を合唱して全員で食事をいただきます。感慨
深い言葉です。今でも私の胸の中で大切にして
います。
 米国に生まれ米国で発達したベースボールが
我が国に渡来したのが、明治6年(1873年)です。
明治17年(1884年)に創立の下関商業に野球部が
結成されたのは明治31年(1898年)、実際にはそ
れよりも数年前から既にぼつぼつ野球は下商の
校庭で行われていたようです。本年で下商野球
部は創部110周年を迎えることが出来ました。
110周年の野球部の歴史の中でプロ野球選手と言
えば、塀ぎわの魔術師といわれた平山菊二氏は、
昭和12年プロ野球選手第1号として巨人軍に入団、
その華麗なる守備は観客の目を楽しませたそう
です。又、プロ野球史に燦然と輝くパーフェク
ト第1号の藤本英雄氏(のちに中上)、昭和13年
商を卒業し、明治大学に進み巨人軍に入団、昭
和19年巨人軍第5代監督(選手兼務)に就任、昭和
25年6月28日青森球場に於いて西日本パイオレー
ツと対戦、プロ野球初の完全試合達成、昭和51
野球殿堂入りを果たしました。そして元西鉄
ライオンズ池永正明氏を擁し、昭和38年、春優勝、
夏準優勝、秋の国体優勝に輝き、西鉄ライオン
ズに入団、入団の年から5年で103勝上げました。
昭和45年プロ野球界を震撼させた黒い霧事件
起き永久追放されましたが、後年復権されました。
ちなみに下商野球部プロ入団選手は約26人います。