離れて分かる物のよさ (その1)

       アパホテル<山口防府>
          今  井   進
 
 7月に入会させて頂きありがとう御座います。
あっという間に3ヶ月が過ぎ、先日の集中豪雨
時の被災地へのボランティア活動等ロータリー
クラブの奉仕の心を心身ともに体験させて頂き、
感動している所であります。
 私のふるさと北海道当麻町、札幌を書かせて頂
き、みなさんの町、防府をより魅力一杯の町にし
て頂きたく、そんな思いで書かせて頂きます。ま
防府に赴任し半年足らず、防府の事を殆ど知ら
ない状態です。ふるさとをうまく書き、表現でき
るか分かりませんが、正直に思う、感じを故郷(父、
母)に浸りながら書かせて頂きます。
 私は、いまから60年前に北海道のほぼ中央の、
みなさんよくご存知の旭山動物園から車で北へ約
15分に位置する上川郡当麻町(当時は当麻村)
に生まれました。当麻町って知らないと思います
が殆ど農業1本の町、真っ黒いでんすけすいかで
も有名な所です。目の回りや鼻の頭を黒く塗った
ユーモラスな姿で話題を集め、舞台名「デン助」
で人気のあった喜劇俳優、故・大宮敏光さんにあ
やかり、だれにでも親しまれるようにと考え『で
んすけすいか』と命名。また、水田の減反政策が
進む中、米に代わり田を助ける転作物「田助」
という意味も込められた様であります。
 北海道の屋根、大雪山連峰の最高峰旭岳
(2,291m)のふもとにある小さな町です。その麓
から見上げる旭岳は、天の上にそびえる雄大な男
らしい山です。自然の豊かさは他に類を見ないも
のと確信する所である。
 家は、祖父母、父母、祖母の姪、1歳上の姉と
私の7人暮らしでした。祖父母と母は、戦後樺太
からの引き上げ者で、当麻の引き上げ者住宅に住
を構え祖父の行商にて生計を立てていた様である。
 私が生まれ間も無く父が他界、その数ヶ月後、
姉が他界し母の心中は計り知れない悲しみのどん
底であったと思う。その後、母は私を連れて再婚
し、第二のふるさと札幌に移り住む様になりまし
た。昭和32年、妹が生まれ母は、姉の生まれ変
わりと思った事と思う。ちなみに私は、実父、姉
の顔は、知らないままである。
 60年間の歩みのなかでの大事な記憶として幼
い頃、いのちの重みを身近に心に刻みながら暮ら
して来たと思う。50年位前までは、人が生まれ
るのも、死ぬのも、ほとんど自宅で、赤ちゃんが
生まれるのも近くで見ていたし、死ぬのもそばで
見ていた。年寄りが死ぬ時も、生きている時は様々
な愛情もあれば憎しみもあり、地域で共に生きて
きた人が近くで死んでいく。みんな心配し、死の
重みを感じ、そして亡くなると、焼き場、火葬場、
そこから立ち上る煙臭いと、そういう暮らしがあ
った。人間が生まれてから死ぬまでを地域のなか
でしっかり見て、いのちの重みを心に刻みながら
暮らす、そのことはこれからも大切にしなければ
ならないことだと思う。(次週に続く)