『心地よい場所』

          久保田健介

 私は、大阪心斎橋扇子屋の七代目として誕生す
るはずでした。が、父の代で店を閉じ生活拠点も
東京に移していたため、サラリーマンの子供とし
て東京(中央区、港区)で生まれ育ちました。
 社会人になって初任地が東京だったので、転勤
で初めて慣れ親しんだ東京を離れました。勤務地
は岡山でその後も、もう一度岡山に勤務したので
通算6年過ごしました。それ以外は大阪に2回計
5年半(家は千里と西宮)、東京は通算35年にな
ります。
 初めて東京から岡山に転勤したときは、人や車
の少なさ、夜の街の終わりの早さに驚き東京シッ
クになりました。しかし、『住めば都』とはよく
言ったもので、歴史もあり自然豊かで四季を感じ
ながらの生活は何物にも代え難く、妻(岡山産)
の影響もありますが、社会人としての基礎固めも
できた岡山は私にとって『第二のふるさと』と言
っても過言ではありません(岡山弁もしゃべれる
んじゃ)。
 転勤すれば、物の見方や価値観の違いなど刺激
を受けることが多く、岡山でも防府でも人々が政
治・文化・歴史を語る光景が普通に見受けられ、
自分が狭く小さな社会で育ってきたことを痛感い
たします。東京は、何をするにも都合よく、文化・
経済の一大発信地ではありますが、通りすがりの
人も多く、社会への参画意識や問題意識、他人へ
の関与度が何れも低く、地域としての東京を知ら
ない人が私を含め多いと思います。
 小さい頃から生まれ育った街には各所に思い出・
思い入れがあり、それが安心感となり、地域のコ
ミュニティーが自らの心地よい居場所を作ってい
るように思います。
 転勤を重ねるうちに、東京育ちのモヤシッ子も
精神的にはだいぶ鍛えられました。幸い、岡山や
大阪は私にとって『心地よい場所』になりました。
防府では野口さんや野球部をはじめ皆様から各種
活動(含む夜間練習)にお誘いいただき、柳さん
からお借りしている畑効果もあり、周防の国が『心
地よい場所』になってきました。
 各地に『心地よい場所』が出来るのは転勤族の
特権です。これからもよろしくお願いいたします。