古代東北へ一歩

         浴 永 直 孝
 離島を除く日本全土をほぼ通過・滞在したと
自負?している自分ですが、青春時代を過ごし
宮城県でも訪れたことの無い要所がありまし
た。
 石巻と女川から太平洋に突き出している牡鹿
(おしか)半島とその先の島・金華山です。
 今回、出張を利用して、牡鹿半島先端の鮎川
から渡船で、金華山黄金山神社に参拝しまし
た。
 この神社の創建は、749年に陸奥国守の百済
敬福(くだらのこにきし きょうふく)が朝廷
に東北の黄金を寄進したことによると由緒にあ
り、韓国の百済という名称に驚きました。
 加えて訪れたことの無い多賀城を巡る蝦夷
(えみし)のアテルイとモレによる坂上田村麻
呂への戦いの書物を読むと、副将軍は百済王俊
哲なる百済王一族でした。
 一方、坂上田村麻呂の前に阿倍比羅夫が七世
紀中ころに津軽半島まで北方遠征したらしいこ
とを知りました。
 さらに八世紀前半における日本海側の出羽国
では、渤海国との行き来がそれなりにあったよ
うです。
 第二の故郷だと思っている宮城県についても
何も知らないことに気付き、今、古代東北につ
いてさらに書物を読んでみたい気持ちになって
います。