坂本龍馬と防府

        脇  正 典

 NHK大河ドラマ龍馬伝」で人気の坂本龍馬防府に来たことがあるのをご存知でしたか。
 下関はテレビに度々登場しますが、防府は短い期間であり、劇的な状況でなかったので注目されません。
 今年、山本栄一郎さんという防府高校出身の方が『実伝・坂本龍馬』を出版されました。その趣旨は、龍馬の像は虚像である。後世の人、とりわけ司馬遼太郎の『龍馬がゆく』で龍馬は鮮やかに登場して、龍馬ファンを増大させた。
一介の浪人にそれほどのことはできず、龍馬はすばらしい人脈を得て、その思いを広めたという。
 山本さんの研究は、しっかりと史料考証されたもので、事実により近いと思われますが、何しろ出版のタイミングが悪い。カッコいい龍馬にマスコミも国民も喝采している時なので、せっかくの研究成果も省みられる事はないようで
す。この様な例は他にもあるのではないでしょうか。
 さて、龍馬の防府での滞在は、今市の綿商岡本三右衛門宅です。(22年前までは、三右衛門宅の離れ「桜園亭」は松崎幼稚園にありました。)
 文久2年(1862)2月10日付けの岡本三右衛門から久坂玄瑞宛の書状があります。現在、この書状は、品川弥二郎収集の尊攘文庫にあり、京都大学付属図書館所蔵です。その中に、「先頃土佐坂本龍馬、主への御状成し下され有難く拝見仕候、緩々御高談承り候て、
四五日御滞留にて、三田尻より乗船、讃岐辺りより御帰国相成べくか、また直に大阪へ御登り相成べくか、船中にて相考えるべくとの御事、何れ九州行の下意も御座候へば、再遊の節との御事にて御出船相成申し候、買船かたがた御状の御趣をもって万事都合克く取計らい仕候間、御安意遊ばされ遣わさるべく候」とあり、龍馬が三右衛門宅に4・5日滞在したこと、今後の動向を玄瑞へ知らせている。
 文久2年3月29日にも龍馬は三田尻に来ている。