八杉康夫(やすぎやすお)

  橋 本 康 弘

戦艦大和 最後の語り部」として全国で講演活動をされ、戦争を繰り返す人間の愚かさを語り、地域社会・学校・家庭教育においてモラル・自由・平等について教育放棄した功罪を訴えていらっしゃる方のお名前です。少し前にそ
の方のお話を聞く機会に恵まれ、約3時間近い講演でしたが、聞き入ってしまいました。機会があれば、ぜひ一度拝聴してみてください。

 昭和20年4月6日、「不沈戦艦」と言われた大和に乗り込み沖縄奪回のため出撃したが、翌7日九州南端に近い坊ノ岬沖で1,000機を超す米軍機の波状攻撃を受け沈没。重油だらけの海に放り出され、駆逐艦に救助されるまでの状況を生々
しく語っていただきました。

 全く視界の悪い状況で米軍機の急襲を受けた話、戦艦大和が沈む前に、自分の目の前で切腹された上官の話、目の前で重油の海の中に沈んでいった少年兵、自分がつかまっていたイカダを八杉さんに渡し沈没する大和に向かって泳い
でいき一緒に沈んでいった仲間の話等、あまりにも生々しく悲惨なそして壮絶な状況は、平和ボケしている私にとって想像を絶するお話でした。

 小中高と歴史を勉強しましたが、今思い起こせばなぜ第2次世界大戦に至ったか詳しく教えてもらった記憶がありません。恥ずかしい話ですが、勉強しなかった自分の責任もあり、戦争に至った経緯を詳しく知ったのは38歳の時でし
た。

 戦後65年以上たった今日、当然のことながら私たちの世代の人間には戦争の記憶はありません。その悲惨さを語り継いでいく人たちも徐々に少なくなってきています。

 戦争は勿論、賛同できるものではないし絶対におこしてはならないことですが、過去の戦争のことは正しく次の世代に伝えていくと同時に、この国の未来を想い、家族を想い、尊い命を賭してまで国を守ってくれた先人のおかげで、現在の日本があることをきちっと伝えていかなければならないと考えます。また伝えていくことこそが、今を生きる私たちの使命であると感じます。

 今年の夏、子供たちを連れて南九州市の知覧を訪ねる予定にしております。