異国・イスタンブール

           山 根 節 雄

 雨上がりの夕方、ボスポラス海峡に望んだ連
絡船の波止場で眺めるイスタンブールは、幻想
的だった。
 たかだか八百米の海峡を挟んで、「アジア」
がある。「ヨーロッパ」の職場や学校から「ア
ジア」のわが家へ帰る人達の群れが、対岸のウ
シュクダラ行きの連絡船に、続々つめかける。
 市民は西岸をヨーロッパ、東岸をアジアと呼
びならしている。アジアに日の出を、ヨーロッ
パに落日を見ている。朝な夕な、ごくあたり前
に両者間を往復する。両大陸がともにわがもの
で、日常生活空間に組み込まれているのであ
る。
 雑踏の中で私は想う。少年の頃、土井晩翠
詩「暮鐘」に「セント・ソフィアの塔荒れて
……」という一節を見つけた事がある。私はそ
の時の胸のときめきを、今でも忘れる事が出来
ない。この「イスタンブール」は異国を代表す
るものであった。今・旧市街の片隅に二本の尖
塔をもった白亜のセント・ソフィア寺院を前に
して、私はなぜか懐かしい想いにかられるので
ある。
 前面には絢碧の海をひかえ、背面には舞台の
セットのような山なみをもつ。しかもこの都市
には、七つの丘まであり、それぞれ微妙な曲線
を描いている。
 私は、このイスタンブールを歩きながら、こ
の地表の変化ある起伏と、街の三方に開けた海
や入江によって遠近高低のある極めて絵画的な
構図を見た。またこの構図にはアクセントがあ
る。それぞれは水平のなだらかな線を、美しい
ハーモニーをもって垂直に断ち切る大聖堂のド
ームやミナレッド(尖塔)である。これらは一日
の時間の流れによって色彩を変える。時々は赤
く、あるいはピンク色に輝き、また夕陽を背景
にした黒い影絵のシルエットになる。
 これ程、陰影の深い美しい都市が世界にある
だろうか。私も多くの都市を巡って来たが、ま
ったくこのような絵画性と幻想性をもつ都市は
ほかになかった。