旅の楽しみ-古代史

                              浴永直孝

 旅の楽しみは何と言っても地元の酒肴と地酒ですが、古墳時代の遺跡を訪ねることも一つです。日本人の生い立ちを知りたいのです。旅では時として訪れた現地でしか得られないような?古代史の情報が入ることがあります。

 昨年秋に宮崎の宮崎神宮と西都原古墳群に行きました。西都原考古博物館内を見学していると、目の前に学芸員らしき人が通りかかったので、「西都原古墳群はそれなりに大きいけど王権規模とは言えない。古事記において何故この田舎の宮崎の地に天孫降臨したのか?」ときつい質問をすると、「近畿から百済への海上ルートを、北九州の磐井が妨害したが鹿児島海上ルートを日向は手助けした。その恩義があったのでは?」とのこと。なるほど。だから最初に日向に無理矢理降臨させるが、すぐに東征によって近畿主体に話題を移すのか。「ちょっとだけよー」ということか。これは目に浮かぶストーリーなので勝手に脳にインプットされた。

 一昨年秋、平城京遷都1300年祭の後に平城京跡資料館を訪れた。ざっと見学して、特に気になる陳列物は無かったが、庶民の暮らしぶりについて「平城京周囲は竪穴式住居であった」という一文を聞いてびっくりした。700年ころ普通の住民は、縄文時代から続く土面の竪穴式住居に住み、一部の人は衣冠束帯なるきらびやかな服装で平城京に通勤していたのか。卑弥呼の300年ころ?に青銅器が、500年ころ?には鉄器が入り、明治維新よりも急激な?武器・道具の変化の中でも住まいは竪穴式であったのだ。だからテレビドラマの中で桓武天皇が立派な宮殿を造り唐の使者に誇示するのだと言っていたが、これなのか? また勝手な分かりやすいストーリーを作ってしまった。

 毎日新聞の日曜版・「日曜くらぶ」にて、「神宮とおおやしろ」が連載されている。先日の記事の中で「八雲立つ」とはどのような光景なのか?と古代出雲歴史博物館の館員への質問。出雲ではよくある光景だが、雲が低く垂れこめ、その雲の切れ間から太陽の光が柱のようになって、幾つも地上に注いでいる風景という私見であったと記憶。その光の柱は地上と天井の神を結ぶ階段のようにイメージされ、神と出雲人の密接な関係を示すものであろう。キリスト教でも想定される光景では? 一昨年その博物館に行ったのに、何も質問を思いつかなかった自分にガックリ。

                                   以上