50YEARS SINCE1964

         喜多村 誠 

 10月の3連休を前に上京した。10月10日の夕
刻、東京在住の永くなった次女と寿し屋に行っ
た。あれこれ話もしたが折しも50年前には東京
オリンピック開会式。1950年生まれの私は杉並
の区立中の2年生14才。開会式前日の東京は大雨
で天候が危惧されたが一転秋晴れとなったので
ある。
 土曜日の午后大阪出張から急いで帰宅した父
と狭い茶の間で一家4人がテレビの前に揃った。
ファンファーレのあと古関裕而作曲のあのオリ
ンピック行進曲によりギリシャを先頭に選手入
場だ。そして空には航空自衛隊によって鮮やか
な五輪の輪が描かれた。私は急ぎ我家の2階の物
干し台にかけ上がると雲一つない東京の空に五
輪があった。感動的であり今でも鮮明に思い出
すことができる。
 東海道新幹線も羽田のモノレールも高速道路
も全て1964年秋を目標につくられた。東京は一
変した。家庭ごみの収集も一変した。全てが変
わった。
 英国リバプールのバンドBEATLESブームが日本
に上陸したのもこの年である。映画“ビートル
ズがやってくるヤァヤァヤァ”を新宿の東映
ラスで見た。映像としてのBEATLESを見るのはこ
れが初めてでとてもエキサイトしたものだ。勢
いと元気溢れる成長を実感する年1964年が懐か
しい。娘も“ウンウン ハイハイ”とよく聞いて
くれるのがうれしい……。
 あれから50年成長から成熟へ。21世紀を迎え
早15年。第2次安倍政権発足により失われた20年
にピリオドを打った感はあるものの、人口減
少・少子高齢化如何ともし難く“地方創成”を
叫ばなければなった日本国。未来は如何に?
 2020年東京オリンピック開催決定を機に弾み
をつけて行きたいものである。夢よもう一度再
び活力を取り戻すことを願っている。しかし一
方で首都圏限定の感は拭えず全国的波及(観光立
国の更なる推進等)が望まれる。東日本大震災
復興の遅れも指摘され人手不足による成長の限
界、極端な円安の悪影響、消費税増税と財政再
建、多くの課題が待ち受ける。
 さて防府、広域観光の推進による交流人口
増、特色ある防府の発進力強化、企業誘致・定
住人口増(現実的には人口減少抑止)市庁舎建設
を巡る議論も含めた中心市街地活性化、コンパ
クトシティ実現への取り組み等々多くの課題が
待ち受ける。誰かがやってくれるではなく、私
達がやるという気概が求められている。