大 人 の 夢

           羽 嶋 秀 一

 山口県樹木医会の初代会長は、私が尊敬する
人物の一人で、林業家として誇り高き人生を送
った人物である。
 生前80歳を目前にした彼にこんなことを尋ねた。
「今、植えるとしたらどんな木を植えますか?」
 即座に答えた木が「メアサスギ」。
 メアサスギとは九州地方で育つ質の高い希少
な杉の品種である。苗木を植えてからすぐに根
曲がりする厄介な杉で、樹齢が100年を迎えるこ
ろから真直ぐになっていく、材木としては途方
もなく年月を要する木である。
 林業家は、よく次世代のために木を植えると
いうが、もちろん、子孫の為とはいえ20から30
年程度で製材としての価値を生み出せるもので
ある。つまり自分が植えた木も何度か材木とし
て利益を生み出せるはずなのだ。
 ところが100歳まで生きてもあと20年しかない
彼がなぜ「メアサスギ」と答えるのか、皆が想
像する子孫の為ではないのである。ではなぜ?
 答えは「男の浪漫」なのである。誰が何を言
おうと絶対にそうだと思う。
 つまり明日メアサスギを植えて3年後には根曲
りし、100年の年月をかけて真直ぐに立ちのぼる
スギを想像し、夢を求めた結果の答えなのだ。
 前置きがかなり長くなったが、私がこの「メ
アサスギ」という想像だにしない答えに、全身
を震わされた思いがしたのは、今から100年も先
のことに何かしら夢を持って生きているのかと
いう自問が起きてしまったことだ。
 つまり、私のスタンスは私の一生のスタンス
でしかないのに、前述の彼のスタンスは100年の
時を遥かに超えるスタンスであるということ。
 もっと具体的にいうと何年先を見据えて今を
生きるのかということ。子供の時に見ていた夢
は大人になったらどうなるのかという夢だが、
大人の我々が見る夢は、せめて100年200年先を
見つめることできなければ、次の世代に理想を
語ることはできないはずだ。
 子供に夢を語れる大人の一人になりたいもの
である。