夢と望みの関係

          村 重 浩 三
 なんだか調子が出ないとき、私は音楽を聴い
たりします。
 音楽の良さは、情緒的な気分の良さもありま
すが、その論理性(リズムであったり音階の調和
であったり)を「体で」感じることで、ばらばら
だった身体感覚がビシっと締まってくることが、
とても有難い。
 「音」もいいが、私には「映像」も効果的。
調子が出ないとき、目を閉じて、浮かんでくる
架空の景観などを流れるままに追いかける。と
てもスッキリするのですが、こちらは身体感覚
ではなく、知らず知らずにもつれていた心を、
一旦リセットしてくれる効果があるようです。
 人は頭の中に「映像」が描ける。これはとて
も重要なこと。自分の経験上、人生において望
みが叶うかどうかは、その望みなるものが頭の
中に映像として、ふと浮かぶかどうかにかかっ
ているように思えます。
 映像が自然に浮かんでこないようでは、それ
は本当の「望み」ではないのではないか。そして、
映像がちゃんと浮かぶ本当の望みのことを、古
今東西、睡眠中の「映像」と同じ言葉、「夢」
とか「ドリーム」で表しているのではないか。
よく聞くアメリカン・ドリームはその最たる使
用例でしょう。
 いろいろ「夢を見ること」は、これからも「望
を叶える」為にも大切にしていきたいと思います。