夢と望みの関係

          村 重 浩 三
 なんだか調子が出ないとき、私は音楽を聴い
たりします。
 音楽の良さは、情緒的な気分の良さもありま
すが、その論理性(リズムであったり音階の調和
であったり)を「体で」感じることで、ばらばら
だった身体感覚がビシっと締まってくることが、
とても有難い。
 「音」もいいが、私には「映像」も効果的。
調子が出ないとき、目を閉じて、浮かんでくる
架空の景観などを流れるままに追いかける。と
てもスッキリするのですが、こちらは身体感覚
ではなく、知らず知らずにもつれていた心を、
一旦リセットしてくれる効果があるようです。
 人は頭の中に「映像」が描ける。これはとて
も重要なこと。自分の経験上、人生において望
みが叶うかどうかは、その望みなるものが頭の
中に映像として、ふと浮かぶかどうかにかかっ
ているように思えます。
 映像が自然に浮かんでこないようでは、それ
は本当の「望み」ではないのではないか。そして、
映像がちゃんと浮かぶ本当の望みのことを、古
今東西、睡眠中の「映像」と同じ言葉、「夢」
とか「ドリーム」で表しているのではないか。
よく聞くアメリカン・ドリームはその最たる使
用例でしょう。
 いろいろ「夢を見ること」は、これからも「望
を叶える」為にも大切にしていきたいと思います。

釣りと海と私4

           松 永 充 宏

 年初に毎年恒例の初釣りに行って参りました。
場所は三田尻港から沖合い南東15?に位置する
防府市の離島、野島です。
 対象魚はメバルカサゴ、鯛です。水深が比
較的浅い場所は釣りがしやすい為、たくさんの
船が集まっており、釣り場も荒れていますので、
水深40mという深場での釣りとなりました。
 しかしながら、深場で仕掛けを真っ直ぐに下
ろしていくのは非常に難しく、潮の速さ、風の
向きを計算し船を流さなければなりません。漁
師はピンポイントで漁礁に向けて船を流すこと
が出来ますが、私にはそのような技術はなく、
とても苦戦いたしました。
 それでも4時間ほど粘りまして20匹の釣果とな
り、40?を超える大きな鯛も釣り上げる事が出
来ました。初釣りで鯛を釣るのは縁起がよく、
一年を通して良い漁が出来ると言われています。
 さて、この野島ですが、かつては無人島で、
田畑がなかったことから「野の島=野島」と称
されたと言われています。また、全島がツツジ
で覆われ開花の頃には海まで真っ赤に染まって
見えたことから「茜島」とも呼ばれていました。
 私も幼少期に地区の行事で一度行ったきりで
したが、ここ数年は釣りでの休憩場所として、又、
年に3回開催される野島の浜市にも訪れたりして
います。
 確かに野島は都会のような便利さはありません。
しかし、海の恵みや山の恵み、数え切れない『郷
土の恵み』はあふれんばかりです。 地域の人々
とのあたたかい触れ合いを感じながらのシンプ
ルながらも心豊かな暮らし……私の憧れです。

懇ろな関係

                   
          東   佳 範

 一昨年新聞をにぎわした言葉に、懇ろ( ねん
ごろ)と言う言葉が有ります。
 野党の国会議員が女性の大臣に「懇ろな関係
ではないか」と野次ったそうです。懇ろとは男
女の関係を連想させるとの事で野党の責任者が
陳謝しておさまったようです。その際九州では
懇ろとよく言うと、その議員( 九州出身) は言
われていました。
 私は懇ろとは男女の関係とは知りませんでした。
男同士それもお代官と越後屋の関係のように思
っていました。言葉を変えると昵懇でしょうか。
 またお坊さんが葬儀の際、「懇ろに弔う」とい
う言葉を聞いた事が有ります。これは丁寧にと
いう意味なのです。
 あの野次は男女の事じゃなくて、お代官と越
後屋の事を言った、つまりセクハラ野次じゃな
かったのではないかと思ったりします。言葉は
地方、世代、個人で使い方が違うものと痛感さ
せられました。
 以前ある先輩が「ロータリークラブは人を知
るところ」と言われていました。私は思います。
ぜひロータリークラブにおいて懇ろな関係にな
り、多くの情報を交換し豊かな未来を築いて頂
きたいと思います。

このごろよく思うこと

          潮   貞 男

 随分と以前まだまだ自分が若い時にお会いし、
その時は企業の中堅にいらした方と、再び企業
のトップになられてお会いした時、その方の以
前と何も変わる事のない接し方と言葉に、ふと
自分もこんな風に「驕りなく謙虚に」また「強
さに裏付けられた優しさ」をもって人に接して
いこう、自分の人生を進めて行こうと、その時
は真摯に、これもまた、少しばかり若い時に思
ったものです。  
 さて、その時の思いが人生も七分どころから
八分どころに差し掛かった今の自分の中に、キ
チンと保てているだろうかとふと問いかけてみ
るものです。年を重ね、経験もそれなりに積み、
仕事も長くしている、それなりの立場にもある、
さりとて「人生が解かった」などとは言えるこ
とはなく、理解していることはきっと「最期ま
で解からないだろう」ということでしょうか。
 哲学が「人間とは何ぞや」という命題に科学
をもってしても未だ解答を持たないのだから、
こんなものだと強引にも、我田引水に自分に納
得しているところでもあります。
 何とはなく思っていることは、ただただ生き
ていることの幸せ感の中身はそれぞれ異なると
はいえ、人の社会にあって、生まれてきた人、
皆がそれぞれに幸せになる権利があるということ。
企業人とすればいつも、現状をより良く変えて
いくことで社員を人とする企業にあっても、社
会の中に在る意味を持たねばならないとするこ
とです。現状を守るのではなく謙虚に、強さに
裏打ちされた優しさをもってより良く変え続け
ていくことへの思いだとも考えます。
 ここで、やはり平易な言葉で表されるロータ
リークラブの「四つのテスト」をいつも思い浮
かべます。そして、「みんなのためになるかど
うか」。
 人の中に在って真摯に在りたいものです。

健康について考える

           原 田 耕 一

 今年50歳となりました。
 私はタバコを吸うし、日常から特段これとい
った運動をしている訳でもありません。この50
歳になるまで、健康や食生活のことなど気にす
ることなく生活して参りました。
 朝が苦手であった私ですが、このところ目覚
ましの報せを待たずに目が覚めるようになり、
夜中寝ている時にトイレに立つ回数も確実に増
えました。お酒を飲んだ翌日は体力の回復が追
いつかなくなったなと実感します。
 そういったところ、先だって職場に浄水器
似た「整水器」なるものの実演販売に来られて、
ついつい購入することになったのですが……。
その整水器は水道水を浄水し、機械で電気分解
水素水を作る機器のこと。
 水素水はアルカリ性の水で、胃腸の働きを助
ける効果があったり、ご飯や料理も美味しくでき、
何といっても体内に貯まる老化の原因となる活
性酸素と水素水が化合し、H2Oの水となって対
外へ排出されるため、アンチエイジング作用が
あるという。副作用がなく、医療や農業の分野
でも利用されているようで、二日酔いなど実際
の効果も期待ができそうです。
 確かに飲んでも美味しく、遠くまで湧水を汲
みに行っていた親にも整水器を贈ってやったと
ころ大変喜ばれました。私も最初は正直、半信
半疑であったのですが、毎日飲むにつれ、この
水を手放せなくなり、今では「水素水恐るべし」
と良い買い物をしたように思えます。
 ロータリアンとしていつまでもバイタリティ
を持って活躍していくためにも、心身ともに健
康であるよう心掛けたいと思います。
「男は50歳から!」元気でいい歳を重ねていきた
いものです。

「人生生涯小僧のこころ」で

      
            三 田 浩 士
            (東山口信用金庫)
 
 10年程度前になりますが、ある雑誌で大峰千
日回峰行という苦行を達成した塩沼亮潤住職の
事を知りました。
 この行は、奈良県大峯山の頂上にある大峯
山上本堂までの往復48キロの山道を1,000日間、
1日も休まず歩き続けるという難行です。
 それだけでなく、ひとつだけ掟がありまして、
それは、いったん行に入ると足の骨を折っても、
不慮の事故に遭っても決してやめる事ができず、
万が一この行を途中で止める時は、常備してい
る短刀で自害するか、紐を木に結び付けて首を
くくって命を絶たなくてはならないという想像
を絶するものです。
 その方の本に「人生生涯小僧のこころ」があ
ります。私は雑誌でその本を知っておりましたが、
読んだ事はありませんでした。
ある時(8年位前でしょうか)、部下指導をして
おりました時、少々感情的になった私は「あなたは
精神面が甘い。“小僧のこころ”でも読んで自分を
見つめ直しなさい」と叱咤激励した事がありました。
 さて先日、その部下が居ります店舗に出向い
たところ、「三田さん、“小僧のこころ”で頑
張っています。部下にも本を薦めています」と
満面の笑顔で話しかけられました。
 正直に“その本を読んでない”事を伝えた私に、
しばらくして(人生生涯小僧のこころ)をわざわざ
届けてくれました。有難いことです。私は思
いました、「あ〜、この本を読む運命だったん
だなー」と。
 本の全てを理解する徳は持ち合わせておりま
せんが、ひとの心の不安定さを改めて学びました。
 1,300年で二人しか成し遂げていない苦行を達
成した方でさえ、“ひとりだけ受け入れることの
できない苦手な人がいた”という事でした。そ
れ程ひとの心は「わがまま」という事です。
「自分を見つめ直せ」と縁あって“教え”が戻
って参りました。感謝 !!

閏年について

       
             齋 藤 兼 三
 
 今年は4年に1度のオリンピックの年で、リオ
オリンピックが開催されます。夏のオリンピッ
クの年は閏年に当ります。
 現在は太陽暦で運用されていますので、2月が
29日まで有ります。
 皆さんご存知とは思いますが、2月29日生まれ
の方は、誕生日は閏年にしかやって来ないこと
になります。ですが、それは本来の誕生日の事で
平年には替わりの誕生日を設ける制度が有ります。
「みなし誕生日」と言われ、2月28日か3月1日の
どちらかになります。日本の場合は2月の末日で
2月29日の前日という事で、ほとんどが2月28日
になっているそうです。この辺りの考え方は日
本人らしいところです。
 ここまで太陽暦閏年の事を書きましたが、
以前の日本では太陰暦を使用していました。
 太陽暦の1年は平年365日で、約4年に1回の閏
年は閏日が入って366日になりますが、太陰暦
1年は平年約354日で、約3年に1回(19年に7回)の
閏年は閏月が入って約384日になります。つまり
平年よりも約1ヶ月多くなってしまいます。そ
こで閏月を挿入して調整していました。閏月は
季節を合わせる為に、年によって挿入の月が変
わります。例えば「4月の次に閏4月」という具
合にしていきます。ただ、太陰暦は二十四節季
に合わせた暦なので、農業の季節感には適した
暦と思われます。人間の経験と知恵にはつくづ
く感心させられます。
 また、今年は太陽暦では閏年ですが、太陰暦
では来年が閏年です。両暦で閏年が一緒とは限
らないというか違う事のほうが多いのです。
 太陰暦では閏年に1年が13ヶ月あった為に、現
在と違い禄高という年俸制であった江戸時代には、お墓石やお仏壇という高額商品は控えようという風習が有りました。現在でも根強く残ってい
る地域も有りますが、一般的には随分変わって
きました。
 時代の流れで色々な事や考え方が変わって来
ましたが、温故知新の言葉の通り、古い物は歴
史と人間の知恵がこもっていて大事にしなけれ
ばいけない気がします。
 特に宗教用具を取り扱っていると、余計にそ
ういう気になります。